
噛み合わない気持ちが、あるわけじゃない。
同じく目覚めて、同じく顔を洗って、新しい朝が来た。
きっと俺たちは、どこかに逃げたい。
見知らぬ町で、誰でもない者になりたい欲求がある。
しかし、夕べの酒はそれを許してくれそうも無い。
気だるい身体を、それでも目覚めさせたのは
朝の気温の低さと、追われているという幻想。
「出かけようよ。」
と、タツが言う。
「どこへ?」
あてなんか無い事を知っていて、俺が言う。
「どこへって・・。」
どこだっていいのだ。
分っている。この部屋が居辛い訳でもなく
ただ、いつかこの場所も暴かれてしまって
追い詰められてしまって、全てが終わってしまうのでは
無いかという強迫観念に囚われているだけなのだ。
だから、あてもなく西に向う。
何かを決めかねている俺たち。
槙原のアルバムが説教臭くなった事とか
急な追い越しをかけてきた赤いフィットがムカつくだとか
ピチカートのCDをかけて、『東京の夜は7時』を
歌ってみたり。
他愛も無いことの連続で、一日は構成されていくのだ。
他愛も無いことに目的などない。
でも、その他愛の無さを積み重ねることで
俺たちの行くあてが決まるような気がしていた。
なだらかな丘陵に、ぶどう畑を見つける。
それならば。
と、車を停めた。
案の定・・・ぶどうを売る小さな小屋が建っている。
なんだかすごくいい思いつきのように思えて
俺たちはぶどうを買うことにする。
今、畑からもいできました!
と言うような、新鮮さはぶどうには無い。
少し埃にまみれて、艶も無い。
どちらかと言えば、野菜然とした表情のぶどう。
でも、その甘い香りは確かに秋の香りだ。
数ある種類の中から、珍しい金色のぶどうの房を俺たちは選んだ。
車に乗せると、車内いっぱいに甘酸っぱい香りが
広がっていく。
待ちきれずに、一粒ずつ口に含んだ。
甘さは深いが小粒なのでしつこくない。
うっとりするような香りが、固めの実を齧ると
口の中に広がる。
そして最後にほんの少しの酸味が、口腔内をさわやかに
仕上げてくれた。
「これ、正解やね!」
「うん、こんな美味いの初めてやなぁ。」
朝から混迷し始めていた気持ちが、僅かながら
回復し始めた瞬間。
きっかけなんて、こんなものなのかもしれない。
その後、俺たちはある町に向った。
一時期、俺が暮らしていた町。
特に用があったわけではないけれど、今のその町を
なんとなく見てみたかったのだ。
俺の感傷にタツをつき合わせちゃ悪いかと
思ったけれど、それは徒労というものだった。
意外にもその町に着いても、何の感情も起こっては来なかった。
あまりにも町が変わりすぎていたからだ。
自分がどこにいるのかさえ、よく分らなかった。
市役所も、警察署も、学校さえも以前とは違う場所に
移転しているようだった。
もしかしたら、俺の記憶違いかもしれないと思ったのだけれど
それを確認できるような目標物がなにひとつ見つけられなかった。
「なんてことだ。」
と、思った。
ここには俺が語るべきものは何も無い。
見ず知らずの街角で、途方に暮れている俺に
タツが言う。
「レン、空が青いねー。」
見上げると、ビルの間に真っ青な空が切り取られていた。
俺はその空の青さが、悲しくて悲しくて仕方が無かった。
町が変わってしまったからではない。
空の青さが、あの頃と同じだったからだ。
零れ落ちそうな涙を、タツに見られないように
大きな息と共に飲み込んで、俺は歩き出した。
タツも面白そうに後からついて来る。
それが俺は嬉しかった。
だから、もう一度涙があふれてきた時、
それを堪えるのは止めにした。
一度目は、青空のために。
そして、二度目は、その青き空の色に似て、
果てなく澄み渡っているタツの心の色に寄せて。
流した涙で気持ちを洗い、俺たちは夕暮れを目指した。


